『マネログ』 ポジティブな書評

本が読みたくなるブログを目指して

自分がどう見られるかは相手次第。それを肯定したくなる『パーク・ライフ』

こんにちは、まねです。

今日は吉田修一さんの芥川賞受賞作パーク・ライフを紹介します。

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『怒り』や『悪人』など、映画化されるのも多い、吉田修一さんの作品。

個人的には小説の映画化、ドラマ化は大賛成です(^ ^)

 

エンタメとか純文学とか「文章でしか表現し得ないもの」とか

「想像してたのと違う」とか、僕はあんまり関係ないかなって思ってて。

 

単純に、「小説とは違う視点で楽しめる!」って思うとワクワクします笑

そしてそれが文章で表現された「小説」の価値を左右することは、

僕の場合はないです。

 

小説は小説で面白い!映画は映画で面白い!って感じですね。欲張りですね笑

 

それで小説の世界(つまり想像の世界)が映画(視覚の映像)に喰われたなら、

しょせん、僕の想像力が及ばなかっただけの話だしね( ^∀^)

 

話がそれましたが、今回も作品の持つ雰囲気に着目して紹介していきます。

 

他者の視線。群像に属する危機感と安心感

 

主人公の青年は日比谷公園を舞台に、幾人と出会う。

それは定期的に会うようになる人から、

ただ一度、声をかけられただけという人まで、様々。

主人公はそれらの人々と、日々、何気なく接していく。

 

舞台が日比谷公園ということもあって、

広くひらけたシーンが多く、穏やかな心地で読めるのではないかと思う。

ベンチに座ってコーヒーを飲むシーンなんかは、清々しさも感じる。

全体を通して、実に落ち着いて読める作品。

 

そのため、そんな少し緩んだ雰囲気をのままだと、刺激に鈍くなるので注意。

ふとした時に主人公はこんなことを言われる。

「……ねぇ、そのひかるって子、ほんとにいるの?」(本文71P)

 様々な人が行き交う公園の中で、主人公は、自分の考えもしなかった

解釈、もしくは、なんでそんな風に見られてたの? と勘ぐってしまうような

誤解を、度々される。

 

この作品の特徴の一つは、

「この人は何を考えてこんなこと言ったんだろう」

読者に想像させる、誘導の巧みさ。

 

そして、それは他者の視線。自分の意識の届かないところからくる

解釈のされ方。

日々の生活の中で、常に僕たちは、そんな環境に身を置いていることを

再認識させられる。

 

しかし、群像に属するとは、そうゆうことである。

主人公も、僕たち読者も、大抵は自分の思った通りにしか他者を見ることが

できないから。

 

そう思うと、前より少しだけ、他人の目に晒される環境に、

堂々といられるし、肯定していられる。

それは誰もがフェアだから。

自分だけ怖がってても仕方がないこと。

人に好き勝手見られないために、自分は目をつむって生活なんかできない。 

 

余談だけど、読後にもう一度、表紙を見てみると、面白い。

「ん??」ってならない?笑

僕はなりましたw

その時に描いた、疑問とか推測はどれもがあっていて、みんなが描く

この妄想力は、実に文学的だなって思う。

でもこのブックカバーって文章ではなくて、いわば小説の映画化ならぬ

小説のイラスト化だよね^ ^ 

僕はよく「小説のジャケ買い」するけど、文章の表現の外も、小説を

楽しんでる証拠だと自信を持っている。

 

興味を持っていただけたら幸いです。

 

ではでは〜