フィクションから、はみ出している。『苦役列車』
こんにちは、まねです。
西村賢太さんは現代文学の私小説家として有名な作家の一人です。
私小説とは作家自身の直接経験したことを、そのまま素材にして作られた
小説のことを言います。
けれど僕が思うに、全ての作品が、作家の実体験の要素を、どのような形であれ
少なからず含み、その度合いが、多いのか、少ないのかは、どれくらい私小説の
成分が入ってるかということだと思っています。
つまり、ある意味では全てのフィクションが私小説ともいえますね。
あくまで僕の一見識です。
この『苦役列車』は、作品が西村さんの実体験であるということ、
そして作家の個性がにじみ出ていること、何より本人が私小説家と
公言していることから、その成分は非常に純度が高いです。
私小説ならではの独特な雰囲気を紹介していきたいと思います。
確かな筆力で描かれる「救いようのない、ダメ男」
19歳の主人公はとある冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける毎日。
その青年の日々をつづったこの作品、
はじめて西村さんの文章に触れる人であれば、まず誰もが驚くのが
その文章力。
『苦役列車』にあるのは、現代小説にありがちな軽快な文字の弾みとは違う、
一文一文がずしりと重くのしかかるような、重厚な文章群。
文学慣れした人をうならせる文章であり、読書慣れしていない人が敬遠して
しまうような文章。
まどろっこしいこと無しでいうと、難しい漢字、多いです( ^ω^ )
それでいてすごいのは、ただ難しいだけではなく、その文章が非常に個性的。
文章における個性は、出そうと思って出すのではなく、むしろ隠そうと思っても
結果として出てきてしまうからこそ、それを個性と呼ぶ。
どんなに重厚で難しそうな文章であっても、西村さんらしい言い回しが随所に
反復して使われているのは、それが作家の個性の部分であるから。
それも相まってこそ、作家は筆力を練り出すのである。
さて、ここまで西村さんの筆力について書いたけど、
描かれている内容といえば、本当に、どうしようもない男の話です。
劣等感と自尊心の塊のような青年の、やり場のない怒り、、
「苦役」という言葉には、「つらく苦しい労働」という本来の意味以外の、
皮肉めいた何かが感じられます。
その青年の名は「北町貫多」。そう、この小説は私小説です。
圧倒的文章力の「筆者」と、それに描かれる「ダメ男」
アンバランスというか、ギャップというか、この不安定さが
フィクションの枠を超えた、一線超えちゃったドキドキを
僕たち読者に与えてくれます。
本を読むキッカケになったら幸いです。
では〜( ´∀`)