あなたの想像力が生み出す絶景。『螢川』
こんにちは、マネですー
小説を書き始めたキッカケは、本屋で立ち読みしていた文芸誌の
小説がつまらなくて、これよりもっといい小説を書いてやると
思ったからだとかw
僕的には『泥の河』も非常に印象深くて、歪んだ幼少期を過ごした
少年少女の感情の生々しさとかが、かなりグッとくるんですが、、
今回は『螢川』です。作品に漂う雰囲気を紹介していきます。
どんより重たい北陸の「雪」から、鳥肌モノの「螢」へ。
昭和37年、北陸富山を舞台に、
14歳の主人公と、父、母、そして関わる街の人々の思いの丈が、
移ろう季節の中で、それぞれの中に流れてゆく。
冬、春、初夏の季節の移ろいが、章として続いていくのだけれど
着目したいのが、それぞれの章が、数字ではなく、漢字一字になっていること。
「雪」「桜」そして「螢」
章名は長編小説とかではよくあるけれど、意外と短編だと
少ないんじゃないかな。
(今パッと思いつくところだと、絲山秋子さんの『イッツ・オンリー・トーク』
が、たしかそうだった)
特に純文学にあたる小説は、1、2、3とかの数字か、
あとはアスタリスク「✳︎」なんかもありますね。
ただ空行を二行、三行入れる場合もちらほら。
章名を1、2ではなく、「雪」とか「桜」になっていることが、
読み進める上で、明確な「ひと段落」を示している。
季節の変わり目が「次のお話」という感じをはっきりさせている。
季節の変化と流れに乗せて、物語の雰囲気もまた変化してゆく。
どんよりとした暗く重たい冬から、
物語に動きがある春、
そして螢へと向かう、期待と不安の夏の面影。
読み手の感じ方にもよるところだけど、それぞれの季節の章の中に、
ふと、違った季節が紛れ込んでることがある。
「ゆきが……、ほたるよ。ゆきが、ほたるよ」
微笑んでいる重竜の両目に涙がにじんでいた。彼は泣き笑いの表情
のまま、いつまでも同じ言葉を繰り返していた。(本文151P)
このシーンは「桜」の章の一コマ。
つまり、春を連想させる章である。
ほたるは夏の訪れを感じさせるワードだし、ゆきの時期はとうに過ぎている。
それぞれの章は雰囲気こそ違うが、決して別物ではなく、
全ての季節がひと続きだ。
なぜ重竜はそんなことを言ったのか。
この街にいる人々にとって、雪とは、あるいは、螢とは。
登場人物それぞれの、冬から初夏に変わる、
ひと続きの心境の変化を感じ取りながら読みたい作品。
そして、何より言いたいのが、、
とにかく、、、
最後の螢のシーンが、美しい。
なんという描写力。様々な視線とその誘導。
少年少女の初々しさ、瞬間のとらえどころ。
いい文章とは、ここまで想像力を
放恣にさせるものなのかと。
僕はこのシーンを読んで、
自分の妄想に浸って、
世界の自然の絶景も、綺麗なイルミネーションなどの人工物も
一人ひとりの個人の中にある、想像が作り出した、
限度の知らない景色の広がりが持つ美しさには
敵わないのではないかと、本気で思ったりしました。
これが本の魅力の一つですね!
ぜひ読んでみてください(´∀`)
みなさんの読書の機会になれば、幸いです。
ではでは〜