『マネログ』 ポジティブな書評

本が読みたくなるブログを目指して

いもむし好きすぎて、ラインスタンプ作った!

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近頃は寒くなって、全然いもむしの気配がなくなった。

11月くらいまでは意外と葉っぱをもしゃもしゃしてるのを

見かけたんだけど。。

 

自称いもむしハンターのマネです。

 

いもむしに恋しくなって、つらつらと描いてた落書き達。

 

これらをまとめて、ちょこっとブラッシュアップして、

LINEスタンプににしました。

 

コピー紙に描いた落書きをスキャン→イラレでブラッシュアップ→

フォトショでサイズ指定って感じです。

 

申請は無事通ったものの、

誰得!?って感じですが(笑)

虫めずる姫君、もしくは殿方に喜んで頂けたら幸いです。

 

store.line.me

2018年の抱負。

あけましておめでとうございます!

マネです。

 

去年の11月あたりから、訳あってブログをお休みしていたのですが、

今年はなんとかして書き続けていきたいと思います_φ(・_・

 

正直に、去年ブログを中断してしまった理由は、、

ズバリ失恋です笑

ごくありきたりな、手垢のついた失恋パターンです。。

いやぁ、、しんどかった笑

 

でもって気づいたことは、

なんて自分はメンタリティーが弱いんだぁぁ。。

ってこと。

ちょっとのことで、くよくよしがちな僕。

ってことで今年の抱負は『強靭なメンタリティー』です。

頑張っていきます!

今年もよろしくお願いします٩( 'ω' )و

 

何を捨てたのか、捨てたかったのか、捨てられたのか。『八月の路上に捨てる』

こんにちはー

最近寒すぎて、逆に夏の本が読みたくなっている、まねです。

 

今回は伊藤たかみさんの芥川賞受賞作『八月の路上に捨てる』です。寒いので。。

 

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尖った表紙ですね〜。本屋で平置きされてたら、ジャケ買いしちゃいそう。

 

 

あらすじ 

八月最後の日。

三十歳の誕生日に離婚する予定の敦。

敦は将来のことをを漠然と思い描きながら、

自動販売機の補充作業をするトラックドライバーの仕事をしている。

同僚の水城さんに、付き合ってから結婚生活、そして離婚に至るまでの顛末を

話して聞かせながら、トラックで猛暑の都内を周回していく。

 

物語は、敦と水城さんがトラックに乗り仕事を進めていくシーンと、

敦の結婚生活の回想シーンが繰り返される構成となっている。

 

 

「自販機」という、見慣れてはいるが、詳しくは知らないモノ。

やはりこの小説の特筆すべき点は自動販売機の補充作業員」

この象徴的な仕事である。

自動販売機天国と言われるほど、この国ではあらゆる場所で清涼飲料水を売っている。車が通り過ぎていくだけの峠道にも、秘境の温泉にも、葬儀場にも、スペースのある限り自販機は進出してゆく。(本文13P)

自販機の缶のサイズや専門用語、缶のつまりの対処法、品切れ対策の巡回ルート

など自動販売機にまつわる様々な情報が丹念に描写されている。

 

この描写によって感じることのできる優れた点は、緻密な描写による専門的知識

や情報そのものではなく(もちろんそれ自体に感じることができたなら素敵なこ

とだが)、当たり前のように目にしてきた対象の奥行きではないだろうか。

 

僕らの生活の中で、当然のように溶け込んでいる、物や事。しかしそれらを

僕らはどれだけ知っている、あるいは知ろうとしているだろうか。

例えば、いま足元に転がっている、たこ足配線の中身はどうなっているのか、

わかる人は意外と少ないのではなかろうか。

そんな生活の裂け目に着目する行為は、非常に創造的で、ひいては文学的だと

僕は思う。

 

自動販売機という当たり前に溶け込む物をフィーチャーして、裏側にある

知らない景色を描写したことで、読者に「そのモノに触れた主」のことを

想像させることに成功している。

 

 

宿命的な人生の痛み

一方で離婚に至るまでの主人公の夫婦の歪みは、何か仕方ないものを感じる。

お互いなりに想いあった夫婦生活というのは、どちらが正しい、もしくは悪いと

いうものではない。時間をかけてズレてきた隙間は、凝り固まって、「どうすれ

ばいい」とかいうロジカルな解釈だけでは、修復できなくなってしまうものなの

だ。

 

仕事だけして生きてはいけない。同じように、家庭だけに専念できない。

 

決して言葉の論理的な意味ではない。「仕事辞めれば?」という意味ではない。

 

全てまとめて人生。全てがうまくいくなんて人はいない。宿命なのだ。

 

 

自販機の仕事のシーンと、離婚に至るまでの回想シーンに

暗喩的な共通点を探してしまう。これがこの小説の特徴的な読後感ではないか。

そこには僕たち読者の各々の、様々な解釈が生まれると思う。

 

それがこの「ステル」という命題に、どう関わってくるのか

 

オススメの小説です。読書のキッカケになれば幸いです(´∀`)

 

 またねー✨

 

 

 

女学生達の緊張感が伝わるハイテンポな文章『乙女の密告』

こんにちは、まねですー

今回は、赤染晶子さんの芥川賞受賞作『乙女の密告』を紹介。

 

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外国語勉強に励む学生達

京都の外国語大学で、女学生達はスピーチコンテストの課題に追われている。

彼女達は授業中に、他の授業の予習をする。雑談や化粧、携帯をいじったりする

余裕はない。語学の授業は予習が命である。

彼女達は常に辞書を引き、見知らぬ言葉の意味を探している。

 

課題は『アンネの日記』のドイツ語テキストの暗唱。

スピーチのゼミを担当しているバッハマン教授は女学生達を「乙女」と呼ぶ。

バッハマン教授はアンネフランクに対して格別の思いを持ち、

アンネをロマンチックに語ることを決して許さない。

乙女達はバッハマン教授の過度なスピーチの要求に、各々向き合ってゆく。

 

そんな中、バッハマン教授と、ある乙女との良からぬ噂が乙女達の間で噂され始める…。

 

スピーディで精密な短文

作中の文章は非常に簡潔に、装飾なく、書かれている。

非常にテンポの速い文章。

それが心地いい。もともと文章が非常に簡単で読みやすいから、

結果として読むスピードが速くなっていく。

この文体の表現が、作品の内容の緊張感にとてもフィットしている。

 

スピーチコンテストの予習のためには、一分一秒も無駄にしたくない気持ち、

スピーチの内容を本番で忘れた時の焦り、ストップウォッチの刻む精密な数字、

アンネフランクの、ユダヤ人の心理状況に、立場の全く違う女子大生の自分を重ねて思考する姿勢、

そして、良からぬ噂が目には見えない動きで伝染してゆく不安。

 

物語の中に漂う焦燥感を、短文でスピード感ある文章が、

見事に表現している作品です。

学生達の感情の起伏の激しさと変化の速さを、そのまま文章にしたような。

 

読書の参考になれば幸いです(´∀`)

 

 

 

 

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本が読みたくなる小言。ネタバレしても面白い⁉︎

こんにちは、まねですー

 

5年くらい前に一度読んでいた小説を、

最近になって読み返してみたところ、その時に感じた雰囲気とは全く違った

印象を受けて、驚いた。

その時とは僕の立場というか経験値が、少しは増えていたからかもしれない。

 

 

面白い本はネタバレしても面白い。

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僕は「面白い本はネタバレしても面白い」と思っている。

これは、小説だけに限らず、映画や漫画なんかでも言えることで、

基本的にネタバレをして損するという感覚はあまりない。

 

と言っても、例えばそれが驚異のどんでん返しモノだったり、

小説で言ったら叙述トリック(男と思ってた登場人物が実は女だったり、

青年だと思ってた人が老人だったりする、文章表現ならではのトリック。

実写化不可能なものが多い)ってのが事前にわかっていたりする場合は

さすがにその部分が作品のキモになってくるから、

ネタバレしないようにはするけど。

 

なぜネタバレしても全然平気なのか。

それはネタバレした状態ならではの楽しみ方を熟知しているから。

 

初見でなければ楽しめないワクワク感があるのと同じように、

ネタバレしてからでないと楽しめない、作品の味わいがある。

 

仮にすでにある程度、情報を持っている状態から作品に触れるとする。

その時にネタバレ済ならではの感覚で作品を楽しむことができる。

 

例えば、、

  • 「あれ?聞いてた話と違うじゃん」
  • 「あ〜、それで聞いてた話に繋がるのね」
  • 「記事には、あんなこと書いてあったけど、こういう風にも解釈できるよな」
  • 「うわっ、びっくりした! そんなこと教えてもらってなかったから」
  • 「あいつが言ってたとこ、ここか。だからあいつ、あんな言い方したのか」
  • 「言葉にならないほど感動した…。読んだレビューに収まらないほどに…」

 

こんな感じ。

これらは全部、ネタをバラしてからじゃないと生まれなかった感情とか考察で、

僕はこの部分を感じて楽しむことが大好き。

 

でもって、普通に読書とか映画観賞とかするときは、初めて読む、または観る

作品のことが多い。

つまり読書で言えば、ネタバレ読書より初見読書の方が、圧倒的に多い。

厳密に言えば初見読書も「レビューで面白いことは知っている」とか

「作家がファンだから」といった些細なネタバレの確認作業なのではあるけど。

 

とにかく、もしネタバレ読書を楽しめる感覚を持っているので

あれば、初見読書はいつもやってるのだから、たまには思いっきり

ネタバレして見ることをお勧めします(笑)ただし、作品選びは重要です>_<

 

 

小説は二周目、三周目が面白い。

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小説は二周目、三周目と読み返すごとに味わいが増します。

これもいわばネタバレですね。ネタバレにネタバレが重なって

感情移入と考察が深まり、愛着もあいまって、素晴らしい読書体験になります。

そしてそうするうち、自分の精神の成長を必ず感じることができます。

わからなかった部分が、はっきりと輪郭を持ってわかるようになるのです。

子供の頃観たアニメを、大人になって観たら、「こんな意味だったのか」

「けっこうエグいな」と思うようになるアレと同じです(笑)

 

 

なるべく若いうちに、少し背伸びをして、難しいと思うような本に

触れることをお勧めします。

できれば10代、20代のうちに、本という本、全てに貪欲に触れて

おきましょう。意味がわからなくてもいいんです。

そして30代になったとき読み返す。40代になったときまた読み返す。

その本は、成熟したあなたにとって、全く違った魅力を持つでしょう。

それは成長の実感が後押しする貴重な読書体験です。

 

やっぱ読書ってええわ〜w

 

あなたの想像力が生み出す絶景。『螢川』

こんにちは、マネですー

 

今回は宮本輝さんの芥川賞受賞作『螢川』です。

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宮本輝さんは現在、芥川賞の選考委員をされています。

小説を書き始めたキッカケは、本屋で立ち読みしていた文芸誌の

小説がつまらなくて、これよりもっといい小説を書いてやると

思ったからだとかw

僕的には『泥の河』も非常に印象深くて、歪んだ幼少期を過ごした

少年少女の感情の生々しさとかが、かなりグッとくるんですが、、

 

今回は『螢川』です。作品に漂う雰囲気を紹介していきます。

どんより重たい北陸の「雪」から、鳥肌モノの「螢」へ。

昭和37年、北陸富山を舞台に、

14歳の主人公と、父、母、そして関わる街の人々の思いの丈が、

移ろう季節の中で、それぞれの中に流れてゆく。

 

冬、春、初夏の季節の移ろいが、章として続いていくのだけれど

着目したいのが、それぞれの章が、数字ではなく、漢字一字になっていること。

 

「雪」「桜」そして「螢」

 

章名は長編小説とかではよくあるけれど、意外と短編だと

少ないんじゃないかな。

(今パッと思いつくところだと、絲山秋子さんの『イッツ・オンリー・トーク

が、たしかそうだった)

特に純文学にあたる小説は、1、2、3とかの数字か、

あとはアスタリスク「✳︎」なんかもありますね。

ただ空行を二行、三行入れる場合もちらほら。

 

章名を1、2ではなく、「雪」とか「桜」になっていることが、

読み進める上で、明確な「ひと段落」を示している。

季節の変わり目が「次のお話」という感じをはっきりさせている。

 

季節の変化と流れに乗せて、物語の雰囲気もまた変化してゆく。

どんよりとした暗く重たい冬から、

物語に動きがある春、

そして螢へと向かう、期待と不安の夏の面影。

 

読み手の感じ方にもよるところだけど、それぞれの季節の章の中に、

ふと、違った季節が紛れ込んでることがある。

「ゆきが……、ほたるよ。ゆきが、ほたるよ」

微笑んでいる重竜の両目に涙がにじんでいた。彼は泣き笑いの表情

のまま、いつまでも同じ言葉を繰り返していた。(本文151P)

このシーンは「桜」の章の一コマ。

つまり、春を連想させる章である。

ほたるは夏の訪れを感じさせるワードだし、ゆきの時期はとうに過ぎている。

 

それぞれの章は雰囲気こそ違うが、決して別物ではなく、

全ての季節がひと続きだ。

 

なぜ重竜はそんなことを言ったのか。

この街にいる人々にとって、雪とは、あるいは、螢とは。

登場人物それぞれの、冬から初夏に変わる、

ひと続きの心境の変化を感じ取りながら読みたい作品。

 

 

 

そして、何より言いたいのが、、

とにかく、、、

最後の螢のシーンが、美しい。

 

なんという描写力。様々な視線とその誘導。

少年少女の初々しさ、瞬間のとらえどころ。

 

いい文章とは、ここまで想像力を

放恣にさせるものなのかと。

 

僕はこのシーンを読んで、

自分の妄想に浸って、

世界の自然の絶景も、綺麗なイルミネーションなどの人工物も

一人ひとりの個人の中にある、想像が作り出した、

限度の知らない景色の広がりが持つ美しさには

敵わないのではないかと、本気で思ったりしました。

 

これが本の魅力の一つですね!

 

ぜひ読んでみてください(´∀`)

みなさんの読書の機会になれば、幸いです。

 

ではでは〜