『マネログ』 ポジティブな書評

本が読みたくなるブログを目指して

朝の数分の読書で一日は激変する!『ポジティブ辞典』

皆さんは、朝、どんな気分で目覚めていますか?

「希望の朝だ!」「今日も1日楽しむか!」

って目が覚めた、あの覚醒した瞬間に思いますか?

それとも

「うわ。。ねむ。。」とか「朝になってしまった。。」

って感じで、憂鬱な気分で目が覚めますか?

 

僕の場合はほぼ100%後者。

僕は本当に朝が苦手。

かといって夜型というわけでもなく

ガッツリ睡眠は取ります。

 

正直、

特に離婚して一人暮らしに戻った後からは、朝がかなりきつい。

夜よりしんどい。

寂しさとか、虚無感みたいなものは

僕の場合は、夜より朝に来るのだと、最近になって気づいた。

夜はさ、酔って、布団に逃げればいいからさ。

 

でもそんなことでテンション下がったまんまで毎日仕事に行くのも

幸せ逃げちゃうし、メンヘラっててもしょうがないんで、

最近は、朝に、

テンションの上がる本を読むようにしている。

こちら。

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『ポジティブ辞典』!!メンタリストDaiGo著!

 

なんとわかりやすいタイトル!

 

目に嬉しいビタミンカラー!

 

愛くるしいニャンコたち!

 

 

挫折を信じよう。

努力している人ほどたくさん挫折を味わっている。

挫折とはあなたが必死に努力した証なのだ。

だから、心が折れることを恐れずに、前に進もう。

誰になんと言われようと、

その挫折こそが、

あなたが前に進んでいるということなのだから。

(本文 P100)

 

僕の場合、小説とか漫画といった物語のある本は、

どんな文章だったか、だいたい覚えてるんだけど(何度も妄想するため)

この手の本は結構すぐに内容を忘れてしまう。

けど、毎朝この本を読むようになって

こういう、『元気を注入するための数分の読書』ってのも

なかなかいいもんだなって思った。

内容なんて覚えてようが覚えてまいが、(あ、いや、覚えてた方が効果的なんだろうけど)どっちでも構わない。どっちも正解。

 

本の使い方、楽しみ方に決まりなんてないんだ。

明日も元気注入してがんばろー。

 

 

やっぱり『風の谷のナウシカ(漫画)』は面白い!

こんにちは、マネどす。

 

この前、兄の友達から借りパクしたまんまの『風の谷のナウシカ』を

久しぶりに押入れから掘り出して読み返していたら、やっぱり面白かったから

その話ですw

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ナウシカは全七巻で(七巻だけちょっと厚い)普通のコミックより

かなり大きい。サイズの言い方わからんけどファッション誌よりちょっと小さい

くらいの大きさ。

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こんな感じ。

 

アニメのナウシカのお話は二巻くらいで終わるんだけど、そっからのお話がなかなかアツイ。宗教と民族間の紛争がメインで話が進んで行くんだけど、トルメキアのクシャナ殿下がかなりいい味出してる。

そういえばクシャナナウシカの名前はアナグラムらしい。

 

NAUSICAA→CUSIANAA

 

確かにナウシカと同じくらいクシャナも主人公のように扱われているから

原作を読むと、この漫画はナウシカクシャナのダブル主人公って感じがする。

ナウシカの師匠のユパ様はクシャナをかばって命を落とす。

クシャナの父であるトルメキア王はナウシカをかばって命を落とす。

この辺もなんか好き。

 

物語の佳境でナウシカや現代に生きる人々の秘密が明かされるシーンは

かなりSF的な印象があるけど、元来、歴史物とか宗教、政治、戦争物の作品は

そうゆう要素が少なからずあるものなのかなとも思う。その泥臭さに隠れてるだ

けで。

 

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ハンターハンターの1シーン

 

エヴァ庵野秀明さんやハンターハンター冨樫義博さんも影響を与えているそうで。

 

面白いから是非にー(´∀`*)

アニメとは違った楽しみがあるよー

 

何を捨てたのか、捨てたかったのか、捨てられたのか。『八月の路上に捨てる』

こんにちはー

最近寒すぎて、逆に夏の本が読みたくなっている、まねです。

 

今回は伊藤たかみさんの芥川賞受賞作『八月の路上に捨てる』です。寒いので。。

 

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尖った表紙ですね〜。本屋で平置きされてたら、ジャケ買いしちゃいそう。

 

 

あらすじ 

八月最後の日。

三十歳の誕生日に離婚する予定の敦。

敦は将来のことをを漠然と思い描きながら、

自動販売機の補充作業をするトラックドライバーの仕事をしている。

同僚の水城さんに、付き合ってから結婚生活、そして離婚に至るまでの顛末を

話して聞かせながら、トラックで猛暑の都内を周回していく。

 

物語は、敦と水城さんがトラックに乗り仕事を進めていくシーンと、

敦の結婚生活の回想シーンが繰り返される構成となっている。

 

 

「自販機」という、見慣れてはいるが、詳しくは知らないモノ。

やはりこの小説の特筆すべき点は自動販売機の補充作業員」

この象徴的な仕事である。

自動販売機天国と言われるほど、この国ではあらゆる場所で清涼飲料水を売っている。車が通り過ぎていくだけの峠道にも、秘境の温泉にも、葬儀場にも、スペースのある限り自販機は進出してゆく。(本文13P)

自販機の缶のサイズや専門用語、缶のつまりの対処法、品切れ対策の巡回ルート

など自動販売機にまつわる様々な情報が丹念に描写されている。

 

この描写によって感じることのできる優れた点は、緻密な描写による専門的知識

や情報そのものではなく(もちろんそれ自体に感じることができたなら素敵なこ

とだが)、当たり前のように目にしてきた対象の奥行きではないだろうか。

 

僕らの生活の中で、当然のように溶け込んでいる、物や事。しかしそれらを

僕らはどれだけ知っている、あるいは知ろうとしているだろうか。

例えば、いま足元に転がっている、たこ足配線の中身はどうなっているのか、

わかる人は意外と少ないのではなかろうか。

そんな生活の裂け目に着目する行為は、非常に創造的で、ひいては文学的だと

僕は思う。

 

自動販売機という当たり前に溶け込む物をフィーチャーして、裏側にある

知らない景色を描写したことで、読者に「そのモノに触れた主」のことを

想像させることに成功している。

 

 

宿命的な人生の痛み

一方で離婚に至るまでの主人公の夫婦の歪みは、何か仕方ないものを感じる。

お互いなりに想いあった夫婦生活というのは、どちらが正しい、もしくは悪いと

いうものではない。時間をかけてズレてきた隙間は、凝り固まって、「どうすれ

ばいい」とかいうロジカルな解釈だけでは、修復できなくなってしまうものなの

だ。

 

仕事だけして生きてはいけない。同じように、家庭だけに専念できない。

 

決して言葉の論理的な意味ではない。「仕事辞めれば?」という意味ではない。

 

全てまとめて人生。全てがうまくいくなんて人はいない。宿命なのだ。

 

 

自販機の仕事のシーンと、離婚に至るまでの回想シーンに

暗喩的な共通点を探してしまう。これがこの小説の特徴的な読後感ではないか。

そこには僕たち読者の各々の、様々な解釈が生まれると思う。

 

それがこの「ステル」という命題に、どう関わってくるのか

 

オススメの小説です。読書のキッカケになれば幸いです(´∀`)

 

 またねー✨

 

 

 

女学生達の緊張感が伝わるハイテンポな文章『乙女の密告』

こんにちは、まねですー

今回は、赤染晶子さんの芥川賞受賞作『乙女の密告』を紹介。

 

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外国語勉強に励む学生達

京都の外国語大学で、女学生達はスピーチコンテストの課題に追われている。

彼女達は授業中に、他の授業の予習をする。雑談や化粧、携帯をいじったりする

余裕はない。語学の授業は予習が命である。

彼女達は常に辞書を引き、見知らぬ言葉の意味を探している。

 

課題は『アンネの日記』のドイツ語テキストの暗唱。

スピーチのゼミを担当しているバッハマン教授は女学生達を「乙女」と呼ぶ。

バッハマン教授はアンネフランクに対して格別の思いを持ち、

アンネをロマンチックに語ることを決して許さない。

乙女達はバッハマン教授の過度なスピーチの要求に、各々向き合ってゆく。

 

そんな中、バッハマン教授と、ある乙女との良からぬ噂が乙女達の間で噂され始める…。

 

スピーディで精密な短文

作中の文章は非常に簡潔に、装飾なく、書かれている。

非常にテンポの速い文章。

それが心地いい。もともと文章が非常に簡単で読みやすいから、

結果として読むスピードが速くなっていく。

この文体の表現が、作品の内容の緊張感にとてもフィットしている。

 

スピーチコンテストの予習のためには、一分一秒も無駄にしたくない気持ち、

スピーチの内容を本番で忘れた時の焦り、ストップウォッチの刻む精密な数字、

アンネフランクの、ユダヤ人の心理状況に、立場の全く違う女子大生の自分を重ねて思考する姿勢、

そして、良からぬ噂が目には見えない動きで伝染してゆく不安。

 

物語の中に漂う焦燥感を、短文でスピード感ある文章が、

見事に表現している作品です。

学生達の感情の起伏の激しさと変化の速さを、そのまま文章にしたような。

 

読書の参考になれば幸いです(´∀`)

 

 

 

 

本が読みたくなる小言。ネタバレしても面白い⁉︎

こんにちは、まねですー

 

5年くらい前に一度読んでいた小説を、

最近になって読み返してみたところ、その時に感じた雰囲気とは全く違った

印象を受けて、驚いた。

その時とは僕の立場というか経験値が、少しは増えていたからかもしれない。

 

 

面白い本はネタバレしても面白い。

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僕は「面白い本はネタバレしても面白い」と思っている。

これは、小説だけに限らず、映画や漫画なんかでも言えることで、

基本的にネタバレをして損するという感覚はあまりない。

 

と言っても、例えばそれが驚異のどんでん返しモノだったり、

小説で言ったら叙述トリック(男と思ってた登場人物が実は女だったり、

青年だと思ってた人が老人だったりする、文章表現ならではのトリック。

実写化不可能なものが多い)ってのが事前にわかっていたりする場合は

さすがにその部分が作品のキモになってくるから、

ネタバレしないようにはするけど。

 

なぜネタバレしても全然平気なのか。

それはネタバレした状態ならではの楽しみ方を熟知しているから。

 

初見でなければ楽しめないワクワク感があるのと同じように、

ネタバレしてからでないと楽しめない、作品の味わいがある。

 

仮にすでにある程度、情報を持っている状態から作品に触れるとする。

その時にネタバレ済ならではの感覚で作品を楽しむことができる。

 

例えば、、

  • 「あれ?聞いてた話と違うじゃん」
  • 「あ〜、それで聞いてた話に繋がるのね」
  • 「記事には、あんなこと書いてあったけど、こういう風にも解釈できるよな」
  • 「うわっ、びっくりした! そんなこと教えてもらってなかったから」
  • 「あいつが言ってたとこ、ここか。だからあいつ、あんな言い方したのか」
  • 「言葉にならないほど感動した…。読んだレビューに収まらないほどに…」

 

こんな感じ。

これらは全部、ネタをバラしてからじゃないと生まれなかった感情とか考察で、

僕はこの部分を感じて楽しむことが大好き。

 

でもって、普通に読書とか映画観賞とかするときは、初めて読む、または観る

作品のことが多い。

つまり読書で言えば、ネタバレ読書より初見読書の方が、圧倒的に多い。

厳密に言えば初見読書も「レビューで面白いことは知っている」とか

「作家がファンだから」といった些細なネタバレの確認作業なのではあるけど。

 

とにかく、もしネタバレ読書を楽しめる感覚を持っているので

あれば、初見読書はいつもやってるのだから、たまには思いっきり

ネタバレして見ることをお勧めします(笑)ただし、作品選びは重要です>_<

 

 

小説は二周目、三周目が面白い。

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小説は二周目、三周目と読み返すごとに味わいが増します。

これもいわばネタバレですね。ネタバレにネタバレが重なって

感情移入と考察が深まり、愛着もあいまって、素晴らしい読書体験になります。

そしてそうするうち、自分の精神の成長を必ず感じることができます。

わからなかった部分が、はっきりと輪郭を持ってわかるようになるのです。

子供の頃観たアニメを、大人になって観たら、「こんな意味だったのか」

「けっこうエグいな」と思うようになるアレと同じです(笑)

 

 

なるべく若いうちに、少し背伸びをして、難しいと思うような本に

触れることをお勧めします。

できれば10代、20代のうちに、本という本、全てに貪欲に触れて

おきましょう。意味がわからなくてもいいんです。

そして30代になったとき読み返す。40代になったときまた読み返す。

その本は、成熟したあなたにとって、全く違った魅力を持つでしょう。

それは成長の実感が後押しする貴重な読書体験です。

 

やっぱ読書ってええわ〜w

 

あなたの想像力が生み出す絶景。『螢川』

こんにちは、マネですー

 

今回は宮本輝さんの芥川賞受賞作『螢川』です。

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宮本輝さんは現在、芥川賞の選考委員をされています。

小説を書き始めたキッカケは、本屋で立ち読みしていた文芸誌の

小説がつまらなくて、これよりもっといい小説を書いてやると

思ったからだとかw

僕的には『泥の河』も非常に印象深くて、歪んだ幼少期を過ごした

少年少女の感情の生々しさとかが、かなりグッとくるんですが、、

 

今回は『螢川』です。作品に漂う雰囲気を紹介していきます。

どんより重たい北陸の「雪」から、鳥肌モノの「螢」へ。

昭和37年、北陸富山を舞台に、

14歳の主人公と、父、母、そして関わる街の人々の思いの丈が、

移ろう季節の中で、それぞれの中に流れてゆく。

 

冬、春、初夏の季節の移ろいが、章として続いていくのだけれど

着目したいのが、それぞれの章が、数字ではなく、漢字一字になっていること。

 

「雪」「桜」そして「螢」

 

章名は長編小説とかではよくあるけれど、意外と短編だと

少ないんじゃないかな。

(今パッと思いつくところだと、絲山秋子さんの『イッツ・オンリー・トーク

が、たしかそうだった)

特に純文学にあたる小説は、1、2、3とかの数字か、

あとはアスタリスク「✳︎」なんかもありますね。

ただ空行を二行、三行入れる場合もちらほら。

 

章名を1、2ではなく、「雪」とか「桜」になっていることが、

読み進める上で、明確な「ひと段落」を示している。

季節の変わり目が「次のお話」という感じをはっきりさせている。

 

季節の変化と流れに乗せて、物語の雰囲気もまた変化してゆく。

どんよりとした暗く重たい冬から、

物語に動きがある春、

そして螢へと向かう、期待と不安の夏の面影。

 

読み手の感じ方にもよるところだけど、それぞれの季節の章の中に、

ふと、違った季節が紛れ込んでることがある。

「ゆきが……、ほたるよ。ゆきが、ほたるよ」

微笑んでいる重竜の両目に涙がにじんでいた。彼は泣き笑いの表情

のまま、いつまでも同じ言葉を繰り返していた。(本文151P)

このシーンは「桜」の章の一コマ。

つまり、春を連想させる章である。

ほたるは夏の訪れを感じさせるワードだし、ゆきの時期はとうに過ぎている。

 

それぞれの章は雰囲気こそ違うが、決して別物ではなく、

全ての季節がひと続きだ。

 

なぜ重竜はそんなことを言ったのか。

この街にいる人々にとって、雪とは、あるいは、螢とは。

登場人物それぞれの、冬から初夏に変わる、

ひと続きの心境の変化を感じ取りながら読みたい作品。

 

 

 

そして、何より言いたいのが、、

とにかく、、、

最後の螢のシーンが、美しい。

 

なんという描写力。様々な視線とその誘導。

少年少女の初々しさ、瞬間のとらえどころ。

 

いい文章とは、ここまで想像力を

放恣にさせるものなのかと。

 

僕はこのシーンを読んで、

自分の妄想に浸って、

世界の自然の絶景も、綺麗なイルミネーションなどの人工物も

一人ひとりの個人の中にある、想像が作り出した、

限度の知らない景色の広がりが持つ美しさには

敵わないのではないかと、本気で思ったりしました。

 

これが本の魅力の一つですね!

 

ぜひ読んでみてください(´∀`)

みなさんの読書の機会になれば、幸いです。

 

ではでは〜

 

フィクションから、はみ出している。『苦役列車』

こんにちは、まねです。

今回は西村賢太さんの芥川賞受賞作『苦役列車』です。

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西村賢太さんは現代文学私小説家として有名な作家の一人です。

私小説とは作家自身の直接経験したことを、そのまま素材にして作られた

小説のことを言います。

けれど僕が思うに、全ての作品が、作家の実体験の要素を、どのような形であれ

少なからず含み、その度合いが、多いのか、少ないのかは、どれくらい私小説

成分が入ってるかということだと思っています。

つまり、ある意味では全てのフィクションが私小説ともいえますね。

あくまで僕の一見識です。

 

この『苦役列車』は、作品が西村さんの実体験であるということ、

そして作家の個性がにじみ出ていること、何より本人が私小説家と

公言していることから、その成分は非常に純度が高いです。

 

私小説ならではの独特な雰囲気を紹介していきたいと思います。

 

確かな筆力で描かれる「救いようのない、ダメ男」

19歳の主人公はとある冷凍倉庫で日雇い仕事を続ける毎日。

その青年の日々をつづったこの作品、

はじめて西村さんの文章に触れる人であれば、まず誰もが驚くのが

その文章力。

苦役列車』にあるのは、現代小説にありがちな軽快な文字の弾みとは違う、

一文一文がずしりと重くのしかかるような、重厚な文章群。

文学慣れした人をうならせる文章であり、読書慣れしていない人が敬遠して

しまうような文章。

まどろっこしいこと無しでいうと、難しい漢字、多いです( ^ω^ )

それでいてすごいのは、ただ難しいだけではなく、その文章が非常に個性的。

 

文章における個性は、出そうと思って出すのではなく、むしろ隠そうと思っても

結果として出てきてしまうからこそ、それを個性と呼ぶ。

 

どんなに重厚で難しそうな文章であっても、西村さんらしい言い回しが随所に

反復して使われているのは、それが作家の個性の部分であるから。

それも相まってこそ、作家は筆力を練り出すのである。

 

さて、ここまで西村さんの筆力について書いたけど、

描かれている内容といえば、本当に、どうしようもない男の話です。

劣等感と自尊心の塊のような青年の、やり場のない怒り、、

「苦役」という言葉には、「つらく苦しい労働」という本来の意味以外の、

皮肉めいた何かが感じられます。

 

その青年の名は「北町貫多」。そう、この小説は私小説です。

圧倒的文章力の「筆者」と、それに描かれる「ダメ男」

 

アンバランスというか、ギャップというか、この不安定さが

フィクションの枠を超えた、一線超えちゃったドキドキを

僕たち読者に与えてくれます。

 

本を読むキッカケになったら幸いです。

 

では〜( ´∀`)